
(私の左が伊藤さん、一番右が農場主のグレン田中さん)
今回の南米訪問の途中、乗り継ぎでLAに立寄り井村屋を訪問するとともに、前三重県人会の会長を務めていた伊藤富雄さんにお会いするため、農場を訪問しました。
もともと伊藤さんは帰米という変遷を経験して来た人で、元々は日系2世であった伊藤さんが日本に来ている最中に太平洋戦争が始まり、日本人として日本軍に入って自分の生まれたアメリカと闘ったのです。
終戦後はアメリカに戻り、今度はアメリカ軍に入って米国人としての立場を見せなければならなかったのは複雑な気分だったろうと思うし、我々にはわからない苦労をされてカリフォルニアのLAの南のオレンジ郡・アーバインというところで野菜の栽培を始めたのです。
当初はセロリを栽培していたので、なかなか売れずイチゴの栽培でようやく軌道に乗り、その後は大成功をおさめた人で日本の叙勲も受け、三重県民功労賞も授与された三重県の誇れる先人です。
伊藤さんとは何回もお会いしていますが、今も大変元気だけど農場は宅地や商業施設などが増え、大農場だったアーバインは今や都会になってしまって、伊藤さんの農場もカリフォルニアでも有数のゴルフ場になってその名も「ストロベリーカントリー」となったり、一緒にやってきた田中農場に残りを売って今は悠々自適の生活です。
その田中農場で伊藤さんを訪問して、現在は街の中になってしまったアーバインで観光農場を見せてもらい、そのご家族とも対面しました。
アメリカのイメージの大農場とは違い、入場料17ドルを取って1日楽しめる施設を運営している彼からは「農業ではなく観光業なのだ」という話でしたが、それでも14haもの広さの農場からすぐ近くに高層ビルが見えます。
その農場主?のグレン田中さんや夫人、従業員のアイリーンさんなど皆さん日本人なのですが日本語はほとんどしゃべれないアメリカ流の日系人で、それまで会って来た南米の「日系人と呼ばないでくれ」とかたくなに日本の文化を守り続けている日本人入植者と大きな違いを感じます。
その違いはアメリカの日系人は戦争を経て、「アメリカで生きていくためにはアメリカ人にならなければならなかった」という悲しい歴史がそうさせたのだと思います。
しかし、日系人である彼らも日本に対する思いは強く、グレン田中さんたちは来月末に仙台を訪問して被害を受けた農場を支援する活動を行うそうです。
言葉は話せなくても、雰囲気はアメリカ人でも心は日本人の精神を持ち続けている彼らに会って暖かいものを感じました。
今日、日本に戻ります。
2012/02/05 18:16:47 | コメント 0件 | コメントを書く | この記事のURL
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